沿革: 長崎造船所

長崎造船所

1868年(明治初年)の長崎製鉄所

長崎造船所は、1857年(安政4年)、わが国最初の本格的洋式工場「徳川幕府 長崎鎔鉄所」として建設に着手。 以来、わが国を代表する数多くの船舶を建造するとともに各種発電プラントを手掛けるなど、船舶・機械製造を両輪に活動を続けてきました。

165年をこえる歩みを通して培われた技術は、今日も艦船の建造や高密度艤装船の開発、高効率な発電プラントの建設や燃料電池などの次世代エネルギー開発の大きな力として、産業の発展に役立っています。

長崎造船所の歴史

1857

幕府はオランダ人のH・ハルデスらを招き「長崎鎔鉄所」の建設に着手。 (長崎造船所のはじまり)

1860

「長崎製鉄所」と改称。1861年(文久元年)3月工場落成。

1868

明治政府に収められ、長崎府判事の総轄のもとに経営さる。

1879

立神に第一ドック完成、当時東洋一。(現在の第二ドック首部)

1884

工場施設を借用、「郵便汽船三菱会社」が事業継承。

1885

1885年(明治18年)頃の飽の浦機械工場

1887

三菱社、借用の施設一切を買い受ける。

4番船「夕顔丸」進水当時の立神船台

1893

三菱合資会社の設立に伴い「三菱合資会社三菱造船所」と改称。

1896

第二ドック竣工。(現在の総合資材ヤード)
第三ドックは1905年(明治38年)3月竣工。

1903

第二、第三船台竣工。この後、1906年(明治39年)2月までに第一船台から第八船台まですべて竣工。

1907

わが国初の船型試験水槽竣工

1908

わが国初の発電用タービン第1号機(出力500キロワット)完成、三菱合資会社三菱造船所中央発電所に据付。

1912

第一船台にガントリークレーン竣工。1939年(昭和14年)までに全船台のガントリークレーン竣工。

1917

三菱造船株式会社設立に伴い「三菱造船株式会社長崎造船所」と改称。

1923

電気工場を分離。
(これが「三菱電機株式会社長崎製作所」となる)

1934

三菱重工業株式会社設立に伴い「三菱重工業株式会社長崎造船所」と改称。

1936

第二船台ガントリークレーン完成

1937

電気製鋼工場を独立。
(のち「三菱製鋼株式会社長崎製鋼所」を経て、現在、三菱長崎機工株式会社)

1938

関西共同火力尼崎第二発電所向け初号機75,000キロワット(当時東洋最大)

1942

戦艦「武蔵」竣工

1949

天皇陛下が生産復興状況をご視察

1950

三菱重工業株式会社解散。
「西日本重工業株式会社長崎造船所」として発足。

1952

再び旧名にもどり「三菱造船株式会社長崎造船所」と改称。

1957

創業100年を迎える。

1965

30万重量トンドック2基(建造用、修繕用)竣工。

1964

三菱日本重工業(株)、新三菱重工業(株)、三菱造船(株)、の三社合併に伴い「三菱重工業株式会社長崎造船所」と改称。

1963

機械部門(組立、機械、製缶工場)の設備近代化(大型化)完成。

1971

ボイラチューブ工場およびパイプヘッダ工場、深掘・香焼地区に完成。

1972

香焼建造ドック竣工。1973年(昭和48年)5月に香焼修繕ドックが竣工。

1975

本館ビルディング竣工。

1981

大型石炭火力ボイラ工場竣工。

1985

諫早工場竣工。

1990

豪華クルーズ客船「クリスタルハーモニー」竣工。

1991

宇宙機器工場竣工。

1993

エレクトロニクス工場竣工。

2005

女神大橋竣工。

2004

風力発電装置工場竣工。
大型客船「ダイヤモンドプリンセス」、「サファイアプリンセス」竣工。

2003

太陽電池工場竣工。

2007

創業150年を迎える

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