#006 安江 祥光『この仲間たちと、あの舞台へ。』
今年から新たに三菱重工相模原ダイナボアーズのメンバーリストに加入したその名前を目にして、驚いたラグビーファンは少なくなかっただろう。日本代表2キャップ、国内最高峰のフロントローワーとして日本IBM、神戸製鋼で長く活躍し、100試合の大台に迫るトップリーグ出場を重ねてきた実力者が加わったのだから。
力の衰えや出場機会を求めての移籍ではない。正真正銘のトッププレーヤーの電撃的加入である。そのまま神戸製鋼に在籍していれば今ごろトップリーグ100キャップの栄誉に浴していたはずの男は、なぜこのタイミングで移籍を決意したのか。その理由を、本人はこう語る。
「神戸製鋼でラグビー人生をまっとうしようという気持ちもありました。ただ僕はもともと日本IBMからの移籍で、周囲の選手のように華やかな経歴があるわけでもない。30歳を過ぎたあたりから、“もう一回チャレンジしてみたいな”という気持ちがふつふつと湧き上がってきたんです。神戸製鋼は僕という人間をよく理解してくれていたし、やりやすさもすごくあったんですけど、そういうものを一度全部崩して、安江祥光というひとりの人間としてゼロからチャレンジしたかった。それがきっかけでした」
これほど実績のある選手であれば、トップリーグの他のチームへ移る選択肢もあっただろう。実際、獲得の意思を伝えられたチームは複数あった。しかし、数あるオファーの中から安江が新天地として選んだのは、トップイースト所属のダイナボアーズだった。
「トップリーグのチームに残るか、下部リーグにするか、正直すごく悩みました。トップリーグキャップも100目前でしたし。でも、ゼロから始めようと言っている人間が記録も何もないだろう、と。それに、自分たちでトップリーグに上がって100キャップを取るほうが、絶対にやりがいがある。みんなとともに成長して、今年昇格して、来年トップリーグでどう戦うか、というところまではっきりとイメージできたので、そこからはとんとん拍子でした。4年間入替戦で負けているという部分で、おこがましいですけど自分が何かを変えられるのでは、という思いもあった。チームに相乗効果を生み出したいというか、そこに自分の存在価値を見出せると思ったんです」
ちょうど10年目を迎える社会人プレーヤーとしてのキャリアにおいて、下部リーグでプレーするのはこれが初めて。当然ながら当初は慣れない環境に対する不安もあった。しかし実際に飛び込んでみると、加入前の想像はいい意味で裏切られた。
「1年間のシーズンの流れが違いますし、知っている選手や対戦相手もいないというところで、不安はありました。でも実際に来てみると、チームメイトのラグビーに対する姿勢がすばらしかった。正直、トップリーグに比べて甘さがあるのかなとも思っていたんですが、みんな真摯にラグビーに向き合って、愚直に取り組んでいた。そこに衝撃を受けました。僕もここに来て成長させてもらえましたし、むしろ今まで何が足りなかったんだろう、と感じるくらいでしたね」
HOというポジション柄、プレーヤーとして求められる役割は、何といってもセットプレーの安定だ。とりわけ現代ラグビーにおいて重要性が増す一方のスクラムの強化という点で、トップリーグの熾烈なバトルを数えきれないほど戦い抜いてきたベテランの存在は大きい。1本のスクラム、1回のラインアウトがゲームに及ぼす影響を熟知しているだけに、本人もその部分には強いこだわりを持つ。
加えて首脳陣から期待されているのは、シニアプレーヤーとしての経験やラグビーに取り組む意識など、精神的な部分でもチームに好影響を与えることだ。
「あと一歩でトップリーグに上がれなかった4年間の経験はすごく大事です。でもそれがトラウマになってはいけない。僕が経験してきたことをアウトプットして、身をもってトップリーグのレベルを示すことで、『上がった先にどう戦うか』というところまでイメージできるようにするのが、自分の使命だと思っています。もちろんそこにはセットプレーやプレーの強度なども含まれるんですけど、まずはベースとなる部分で、トップリーグに上がりたいという気持ちをどれだけ全員が強く持てるか。そういう面で、最近は言われた通りにやるのではなく、自分たちからアプローチしていく姿勢ができてきたと感じます」
極めて強度の高いタフなゲームが、ほぼ毎週のように続く。ひとつの試合だけを見ればそこまで差はないのに、長いシーズンを通して見ると小さなほころびが大きな穴になってしまう。それこそがトップリーグと下部リーグの一番の違いだ。そしてそこで戦っていくためには、前提となるメンタルの強靭さが不可欠となる。
「これは体験しなければわからない部分なので難しいのですが、自分に負けない、チームのために体を張る、という思いを、いかにひとり一人が1年間持ち続けられるか。当たり前のことなんですけど、それが一番難しいとも感じます」
一方で、最高峰のステージで戦っていけるだけのポテンシャルは十分にあるとも感じている。百戦錬磨の実力者は言う。
「トップリーグに上がれるというより、トップリーグで勝てる力がある。あとは、当たり前のことを当たり前にやり続けるというベースの部分を、いかにぶれずに遂行できるか。相手が強くなると浮き足立って普段やらないようなプレーをやってしまうのではなく、どんな相手であろうとも自分たちがやるべきことをやり続け、なおかつそのアベレージを上げる。そういうところに関して、ダイナボアーズの選手は誰もが努力をできる人間です。フィジカル的にも負けてる感じはしないし、才能はある。十分やれます」
満員の観客で埋まったスタンドが、ひとつのプレーにどよめき、沸き上がる。あの舞台で、この仲間たちとともにプレーしたい。そしてスタジアム全体が揺れるようなあの興奮を、多くのダイナボアーズファンに体感してもらいたい。そうした思いが、いよいよシーズン終盤の決戦へ臨む上での、強力なモチベーションになっている。
「トップリーグで戦うことで、チームにとってもファンにとっても、違う喜びや楽しさが見えてくると思います。今年は必ずトップリーグに上がる。あとは来シーズン、どれだけいい意味でトップリーグをかき乱せる存在になれるか。その戦いぶりを、ぜひ会場で見ていただきたいですね」
今年8月で32歳となったが、エネルギッシュなプレーは衰えるどころか迫力を増すばかりだ。「すばらしいサポート体制のおかげで、コンディションは今が一番いい。キャリアベストのプレーを見せます」。幾多の激闘を戦い抜いてきた経験の蓄積は、大一番になればなるほど重要な意味を持つだろう。
Published: 2016.11.30
(取材・文:直江光信)
D-DNA
- #063 小泉怜史『申し子、来たる。』
- #062 ジャクソン・ヘモポ『Huge Impact.』
- #061 杉浦 拓実『貪欲に。』
- #060 グレン・ディレーニー『熱狂を巻き起こす。』
- #059 クーパーHC & 石井GM 特別対談
- #058 大嶌 一平『不撓のエナジー』
- #057 岩村 昂太『待望の日々。』
- #056 奈良望『今だからこそ。』
- #055 石田 一貴『ここが、スタート地点。』
- #054 レポロ テビタ『まだ、夢の途中』
- #053 コリン・スレイド『Genuine』
- #052 ヘイデン・ベッドウェル-カーティス『Dependable.』
- #050 イーリ ニコラス『Brand New Days』
- #049 宮里 侑樹『物語は続く。』
- #048 竹田祐将『進む道。』
- #047 井口 剛志『突き詰める。』
- #046 武者 大輔『鋭利なる決意。』
- #045 川俣 直樹『33歳の充実。』
- #044 李 城鏞『念願のスタートライン。』
- #043 土佐 誠『もっと上へ。』
- #042 グレッグ・クーパー『Do our best.』
- #041 川上 剛右『歓喜の先へ。』
- #040 阿久田 健策『このチームが、好きだから。』
- #039 D-DNA特別編 4人の当事者たちが振り返る「2007.1.27近鉄戦」『あの日、歴史が変わった。(後編)』
- #038 D-DNA特別編 4人の当事者たちが振り返る「2007.1.27近鉄戦」『あの日、歴史が変わった。(前編)』
- #037 青木 和也『信頼の砦。』
- #036 関本 圭汰『やってやる。』
- #035 小野寺 優太『時、来たる。』
- #034 井口 剛志『蘇生への疾走。』
- #033 榎本 光祐『輝きを取り戻す。』
- #032 ウェブ 将武『胸躍る。』
- #031 土佐 誠『歴史に名を刻む。』
- #030 グレッグ・クーパー『すべてはトップリーグ昇格のために。』
- #029 成 昂徳『一途に。一心に。』
- #028 マイケル・リトル『今を生きる。』
- #027 土佐 誠『不屈の求道者。』
- #026 小松 学『いくつもの想いを背負って。』
- #025 渡邉 夏燦『名司令塔の系譜。』
- #024 山本 逸平『沈着なる闘志。』
- #023 佐々木 駿『不動の決意。』
- #022 中濱 寛造『フィニッシャーの矜持。』
- #021 比果 義稀『僕の生きる道。』
- #020 藤田 幸仁『「経験」の重み。』
- #019 小林 訓也『すり切れるまで。』
- #018 トーマス優デーリックデニイ『このジャージーをまとう誇り。』
- #017 安井 慎太郎『静かなる決意。』
- #016 佐藤 喬輔(監督)『やり切る。』
- #015 村上 崇『ラグビーをできる喜び。』
- #014 大和田 祐司『今度こそ。』
- #013 茅原 権太『さらなる高みへ。』
- #012 村上 卓史『躍進のルーキー。』
- #011 安藤 栄次『挑戦は続く。』
- #010 徳田 亮真『未踏の地を征く。』
- #009 ロドニー・デイヴィス『X-Factor』
- #008 ニコラス ライアン『僕がここにいる理由。』
- #007 田畑万併『充実の日々』
- #006 安江 祥光『この仲間たちと、あの舞台へ。』
- #005 椚 露輝『ワクワクさせる。』
- #004 中村 拓樹『もう一度、あの舞台へ』
- #003 ジョージ・コニア『カルチャーを築く。』
- #002 西舘 健太『いい風が、吹いている。』
- #001 佐藤 喬輔『覚悟の船出』