#034 井口 剛志『蘇生への疾走。』

感情の起伏を感じさせないポーカーフェイスに、ターゲットを射抜くような鋭い眼差し。独特の嗅覚でどこからともなくチャンスに現れては、持ち前の鋭角のステップを武器に大きな仕事をやってのける。ここという局面で、一発で流れを変えられる存在。そんな稀代のゲームブレーカーが、この春、ダイナボアーズに加わった。

井口剛志、28歳。高校ラグビー屈指の名門、伏見工業で1年時からメンバーに名を連ね、3年時はキャプテンを務めてチームを全国選抜大会優勝と花園準優勝に導いた。進学した早稲田大学でも学生有数の花形BKとして活躍。高校日本代表、U20日本代表と、桜のジャージーをまとって海外列強と戦った経験もある。そこまでの経歴は、これ以上ないほど華やかだ。

そんなエリート中のエリートが、しかし、社会人ラグビーでは試練を味わった。多くの期待を背に受けトップリーグの強豪、神戸製鋼に入団するも、最初の2年間はチーム内の競争に苦しみ、公式戦出場はわずか「5」にとどまる。現在アメリカ代表監督を務めるギャリー・ゴールドヘッドコーチが指揮を執った3年目の2014-2015シーズンにようやくレギュラーに定着したが、体制が変わった翌年はまた試合メンバーから遠ざかる日々が続いた。さらに2年前の2016年シーズン、前十字靭帯を断裂。全身からほとばしるようだったオーラは、いつしか失われようとしていた。

試合に出られないのは、コーチングスタッフの信頼を勝ち取れなかった自分の問題にほかならない。だから腐ったり、投げ出したりしたことは一度もなかった。ただ、実戦から離れる時間が長く続くと、意識の重点は試合に出て活躍することよりも試合に出ることそのものへ傾いていく。その結果、次第に失敗を恐れ、持ち味の思い切りのいいプレーをできなくなっていった。

「『ここでミスしたらどう思われるやろ』とか、そんなことばかり気にしてプレーしていた時期もありました」

それでもチームから期待されているのは感じていたし、チャンスをもらえればやれる自信もあった。一方で、このまま漫然と時を過ごせば、きっと引退間際になって“こうしておけばよかった”と後悔する――という不安も抱いていた。悶々としながら自問自答を繰り返していたある日、ふとしたことがきっかけで、井口は人生の転機を迎える。

「たまたま昨シーズンの三菱重工の最終戦(2018年1月20日、コカ・コーラとの入替戦)を見たのですが、誰もが勝ったと思ったところから最後に追いつかれたあの時、自分があそこにいたら、何かできるかもしれない、と思ったんです」

ちょうどヒザの具合もようやく完調に近づき、以前のような感覚でプレーできる手応えをつかみ始めていた頃でもあった。28歳という年齢を考えれば、環境を変えるならこのタイミングしかない。知人の伝でダイナボアーズ関係者と話をする機会を作ってもらい、悩んだ末に、移籍を決断した。

「正直、このままラグビーを終わってもいいかな、という気持ちもありました。でも重工のあの試合を見て、このチームならもう一回ラグビーを好きになれるかもしれない、と思ったんです。関東に移籍するとなれば家族を置いて単身で行くことになるけど、それも四六時中どっぷりとラグビーに浸れる最後のチャンスかな、と。話をしたら、家族も後押ししてくれたので」

もちろん、ここなら試合に出られるだろうという甘い考えはカケラもない。絶対に実力でポジションを勝ち取り、全試合に出場して、必ずチームをトップリーグに導く。そんな覚悟を持って相模原に来た。表情や口ぶりは淡々としているように映るが、本人は「あまり気合い、気合いとなると歯止めがきかなくなるんで。気持ちを抑えるのが大変です」と苦笑する。

「寝ようとして横になっても、ラグビーのことがブワーッと頭に浮かんできて寝られなくなる。そんな感覚、高校生の時以来かもしれません。充実しています」

足の状態がよくなり、痛みを気にせずハードワークできるようになったことで、現在のコンディションは「ここ何年かで一番いい」と言い切る。その言葉通り、春シーズンの初戦となった6月9日の栗田工業戦でさっそくFBで先発デビューを果たすと、続くヤマハ発動機戦(リザーブ)、パナソニック戦(先発)と、3試合すべてに出場。最後尾から攻守を統率するまとめ役として、すでに大きな存在感を示している。

ダイナボアーズの一員として実際にプレーを重ねることで、はっきりと見えてきたものもあった。入替戦を見た時に感じた「伸びしろがあって、楽しそうなチーム」という第一印象は、いまや確信に変わった。

「あらためて、絶対にトップリーグに上がれるチームだと思いました。NTTドコモや近鉄と十分勝負できるし、トップリーグのチームにも勝てる力が間違いなくある。そして、ダイナボアーズがトップリーグに上がれば、熱心に応援してくれているファンや会社の方々も、今以上にプライドを持てるチームになる。関わる人たちがもっともっと胸を張れるチームにしたい。そんなことを、毎日毎日、考えています」

神戸製鋼で出場機会に恵まれず苦しんだ経験も、振り返れば自分にとって貴重な意義のある時間だったと感じている。「どうすれば組織が力を発揮できるかとか、その取り組みの中での仲間の大事さとか、ラグビーをやめた後の人生にも活きることを、たくさん学びました。もしかしたらそれは、順調だった頃はあえて見ないようにしていた部分かもしれません。でも今は、そこに向き合えるようになった」。苦難は人を成長させる。様々な挫折にもがき、プレーできることがいかに幸せかを骨身にしみて味わったからこそ、「今、ラグビーがメチャクチャ楽しい」と笑う。

「しっかりトレーングできて、フィジカルとフィットネスが上がっている実感があるのがまずうれしい。純粋にラグビーにチャレンジできているという感覚もあります。だから単純に練習が楽しいんです。高校に入学した頃の心境に似てるかもしれませんね。不安もあるけど、ウキウキするような」

そう話す表情には、生き生きとした活力が宿る。まだ28歳、老け込むには早い。井口剛志、蘇生へのチャレンジが、これから始まる。

Published: 2018.07.24
(取材・文:直江光信)