#048 竹田祐将『進む道。』

より高いレベルに挑戦したい。もっといいプレーヤーになりたい。アスリートなら誰もが抱く思いだろう。

これまでの自分の殻を破るために、厳しい環境でとことん競技に没頭したい。海外でプレーしたいという気持ちもずっと前からあった。だから竹田祐将は2019年の春、3年間所属したトヨタ自動車ヴェルブリッツを離れて、ラグビー王国ニュージーランドに渡った。

滞在先のクライストチャーチでは妻とともに部屋を借り、ラグビー漬けの毎日を送った。クルセイダーズ現監督のスコット・ロバートソンなど多くの名選手を輩出してきた強豪バーンサイドRFCのファーストグレードに加わり、火曜日と木曜日の夜に練習、毎週土曜日に試合を戦う。平日はスーパーラグビー3連覇中のクルセイダーズのアカデミーの練習にも参加した。

「バーンサイドの練習がある火、木以外の平日は、アカデミーでほぼ毎日3部練。高校生みたいなトレーニングをやっていました。ワールドカップイヤーのスーパーラグビーのシーズン中だったので代表クラスはいませんでしたが、クルセイダーズのリザーブメンバーと練習するセッションも何度かありました」

クライストチャーチには8月まで滞在し、バーンサイドでSOやCTBとして15試合ほど出場。カンタベリー州代表のセレクションにもチャレンジし、貴重な経験を積んだ。チャンスをつかむためにハングリーに取り組む若手選手たちの中で揉まれたことで、たくさんの刺激を受けた。

「向こうのチャレンジ精神は、日本とは全然違います。日本の選手なら『ミスしたらどうしよう』と考えるけど、ニュージーランドの選手はみんな『これがつながったらどうなる』とポジティブに考える。すごく勉強になりました」

父・竹田寛行監督が率いる御所実業では1年時から3年連続で花園の芝を踏み、世代のトップランナーと遇される存在だった。しかし筑波大学入学後は自分の持ち味を思うように試合で発揮できず、不完全燃焼のまま4年間を終える。トヨタ自動車でも在籍3年でトップリーグの出場はなし。いつしか立場は「過去の人」になりつつあった。

「トヨタを辞める時、自分を見つめ直して一番足りないと感じたのが、決断力でした。大学では個人の責任が高校までより大きくなる中、周りの波に乗ろうとして自分で決断することを避けていた。大学1年の時からずっとモヤモヤした思いを抱えたまま、社会人まで7年間引きずってしまっていました」

ニュージーランドでの生活は、そんな葛藤を払拭し、純粋にラグビーをプレーする楽しみをふたたび思い起こさせてくれた。結婚し家族に対する責任を背負う中で会社を辞めて海外挑戦することも大きい変化だったし、さまざまなしがらみを振り切ったことで、みずから冷めさせていたラグビーへの熱が、体の中によみがえってくるのを感じた。

「リフレッシュできましたし、高校時代の気持ちを取り戻せたと思います。チャレンジすることの大切さ、ラグビーの楽しさを再認識して、自分の原点に立ち返ることができた」

毎週のようにタフなゲームをこなしながらもケガなく1シーズンを戦い切り、万全のコンディションで帰国。新たなチャレンジの場として選んだのが、ダイナボアーズだった。その理由を、本人はこう明かす。

「ニュージーランドに行く前にお話をいただいていたのですが、その時にクーパーさん(グレッグ・クーパーHC)から、『メディカルチェックをやるから明日来られるか?』と言われて、『わかりました、行きます』と。あとで聞いたら、そうしたところで僕がどれくらいの思いで臨んでいるかを見ていたそうなんです。そういう部分を大事にしながらここまでチームを強くしてきたのだと感じましたし、父もそういうことを大切にする監督だったので、すごく共感できるところがあった。実際に会って話をする中でもクーパーさんの芯が伝わってきて、心を打たれました」

それから5か月後。ラグビーワールドカップ日本大会の大成功によりかつてないほどの注目を浴びる中で開幕したトップリーグ2020で、竹田はみずからの選択が間違いではなかったことを証明する。開幕戦からリザーブメンバーに名を連ね、待望のトップリーグデビューを果たすと、以後全試合に出場。第5節NEC戦ではトップリーグ初勝利の歓喜をピッチで味わい、第6節ヤマハ発動機戦では初めて先発で80分間フル出場した。

「トップリーグの試合に初めて出て、練習でやっていることをそのまま出すのがすごく難しいと感じましたし、その中で自分の色を出すのがいかに大変かということも実感しました。でも幸運なことに全試合出させてもらって、1試合目より2試合目、2試合目より3試合目と、毎週成長しているのも感じられた。それまでぼんやりしていたところから、『自分はこういうプレーヤーとして進んでいくんだ』ということが、明確に見えてきました」

ダイナボアーズにはまだまだ伸びしろがあるという手応えも、はっきりとつかめた。結果的に白星はひとつだけだったが、NTTドコモ、キヤノン、東芝との戦いはいずれも勝ちを意識できる内容だった。完敗を喫したパナソニック戦、ヤマハ発動機戦でさえ、自分たち次第でもっと渡り合えるという感触を得られた。

そして、それだけに、新型コロナウイルスの影響で残る9節を消化できないままシーズンが中止になったことに無念は募る。国内最高峰の戦いは、そこに立たなければ見えない景色を見せてくれた。そんな環境に引き上げられるように、チームが想像以上のスピードで進化していく感覚もあった。

「残りの9試合を戦えていれば、もっと大きな何かが見えたかもしれないと感じました。だからこそコロナで試合がなくなったのはすごく残念に思います。ただ、みんながこの悔しい気持ちを持ち続けられれば、またラグビーをできるようになった時、高いモリベーションで取り組めると思う。いまはそういう期間だととらえたいですね」

昨秋のワールドカップでは、高校時代から親交のある坂手淳史、大学時代の同期である福岡堅樹(ともにパナソニック)という2人の同級生が日本代表として出場し、社会現象といえるほどの熱狂を巻き起こす華々しい活躍を見せた。かつての仲間として誇らしく思う一方、ひとりのラグビー選手として「感じるところもありました」と振り返る。この7月で27歳。多少遠回りはしたけれど、年齢的にはまだ十分桜のジャージーを意識できる歳だ。

「あの舞台に立ちたいという思いは当然あります。次のワールドカップに向けてのレースは、もう始まっている。2020シーズンは残念ながら6試合だけで終わってしまいましたが、こういう部分をアピールすることでもっと上に行けるんじゃないか、というものはつかめた。ダイナボアーズにとってもそういう(代表レベルの)選手がどんどん出てくることはプラスになると思いますし、貪欲に狙っていきたい」

チャレンジしたことであらためて、どの道に進むかを決めるのは自分次第なのだと実感した。いま、自分がどこへ向かっているのかが、はっきりと見えている。

Published: 2020.07.01
(取材・文:直江光信)