#052 ヘイデン・ベッドウェル-カーティス『Dependable.』

ヘイデン・ベッドウェル-カーティスを初めてスタジアムで見た時のことをよく覚えている。2018年9月9日、秩父宮ラグビー場での釜石シーウェイブスとのトップチャレンジリーグ初戦。気温30度を軽く上回る猛暑の中、つい数週間前に来日したばかりの背番号7のパフォーマンスは目立たないのに際立っていた。骨惜しみすることなく動き続け、接点で激しく体を張り、ボールを一歩でも前へと押し進める。チームにコミットし続ける真摯な姿勢は、80分間を通して1ミリもぶれなかった。

とりわけ強く印象に残っているのが次のシーンだ。前半19分過ぎ、敵陣22メートルライン付近のスクラムで相手ボールのフリーキックの笛が鳴る。すると愛称『HBC』はただちにバック走で10メートル後方に下がって臨戦体勢を整えた。その間、視線はボールと相手の動きをとらえ続けたまま。時間帯とエリアを考えれば速攻を仕掛けてくる可能性はほとんどない状況で、誰よりも早く反応して次のプレーに備える姿に、感心を通り越して感銘を受けた。

外国人FWといえば膠着状況を打開する破壊力やラインアウトの圧倒的な高さが持ち味というタイプがほとんどだ。それだけに、「誠実」という言葉がジャージーを着ているようなプレーぶりは新鮮だった。あれから2年余り。ダイナボアーズ加入3季目を迎えた本人が、そのルーツを語ってくれた。

1991年6月25日、ニュージーランド南島のクライストチャーチ生まれ。その後、北島タラナキ地区のファンガモモナという小さな町に移り住み、5歳でラグビーを始めた。当初のポジションはSO。11歳の時に「背が高かったから」という理由でFWに転向し、以降高校までLOを持ち場とした。

「通っていたニュープリマス・ボーイズ高校は、ガリー・フィールドという有名なグラウンドがあるラグビー強豪校で、現在チーフスでプレーするミッチ・ブラウンやラクラン・ボーシェーらがチームメイトでした。その頃の自分は、スキルレベルは今ほど高くはなかったけれど、チームでもっとも体力があり、ハードワークする選手だったと思います。タックルや密集戦で体を張る気持ちは、昔から強かったですね」

卒業後はプロ選手を目指し地元タラナキのアカデミー(若手育成組織)で鍛錬の日々を過ごす。2011年にはU20ニュージーランド代表に選ばれ、世界選手権優勝の歓喜も味わった。ちなみにその時のU20ニュージーランド代表は、タラナキアカデミーのチームメイトでもあるボーデン・バレットやワイサケ・ナホロのほか、現オールブラックス主将のサム・ケイン、ブロディー・レタリック、コーディー・テイラー、TJ・ペレナラ、ブラッド・ウェバーらそうそうたるメンバーがそろい、「U20ニュージーランド代表史上最強」とも評されるチームだった。

もっとも、仲間たちが次々とスーパーラグビーやテストマッチの舞台へと駆け上がっていく中で、HBCにはなかなかチャンスが巡ってこなかった。2012年にタラナキ代表として国内選手権マイター10カップに初出場を果たし、2012年から2016年まではマナワツ代表で50試合に出場、キャプテンも務めたが、その先のステージが遠かった。当時は仕事をしながらラグビーをプレーするセミプロのような生活を送っていたという。

「建設会社で働いていました。朝早くにトレーニングをして、それから仕事へ行き、終わったらまたクラブで練習をする。かつての仲間たちがどんどん活躍する中、自分だけが取り残されたようで非常に苦しい時期でした。そうした経験も、どんな時でもハードワークする現在のプレースタイルにつながっているのかもしれません」

地道な努力がようやく報われたのは2017年。スーパーラグビー最多優勝回数を誇る強豪クルセイダーズから声がかかる。この時25歳。勤勉と献身を尊び、芯の通った重厚な攻守で数々の栄冠を手にしてきた名門クラブは、長い下積み生活を送ってきた苦労人のひたむきな姿をちゃんと見ていてくれた。

そしてここからHBCのキャリアは急展開を迎える。同年に就任したスコット・ロバートソン監督の手によって蘇ったクルセイダーズは、9シーズンぶりにスーパーラグビーの頂点に返り咲くと、翌2018年も盤石の強さで連覇を達成。HBCは2018シーズンにスターティングラインアップに定着し、ライオンズとの決勝でも先発してチャンピオンチームの一員となった。ちなみにその試合の先発FW8人のうち、HBC以外の7人全員がオールブラックスだった。

優勝の興奮も覚めやらぬうちにダイナボアーズのメンバーとなったのは、巡り合わせもあった。当初入団予定だったジョーダン・タウフアがニュージーランド代表に選出されたため、来日を断念。代わって白羽の矢が立ったのが、クルセイダーズのチームメイトで同じバックローを持ち場とするHBCだった。この経緯について本人は、「ラッキーでした」と振り返る。

「正直、それまで日本ラグビーについて多くの知識があるわけではありませんでした。でもこうして日本でプレーできるようになったことは、結果として本当に幸運でした。日本はヨーロッパに比べてニュージーランドに近いし、去年はワールドカップも満喫することができた。また日本のラグビーは年々急速に進歩している。ここで過ごす時間は、一生忘れない経験になると思います」

加入初年度に入替戦で豊田自動織機に勝利して12季ぶりのトップリーグ復帰を果たし、2年目の昨季は第5節NEC戦で待望のトップリーグ初勝利も挙げた。そうした流れの中で過去2年、トップリーグカップ戦を除きほぼすべての公式戦に出場してきたHBCは、加入3シーズン目となる今季、バイスキャプテンに指名された。

「トップリーグの中止後、帰国したニュージーランドがロックダウンになっていた最中に、クープス(グレッグ・クーパーヘッドコーチ)から電話がありました。彼が私の何を認めてくれたのか深い話をしたわけではありませんが、毎週プレーでベストを尽くすことを求められているのは間違いありません。ジムでも、フィールドでも、リカバリーでも、細かい部分を疎かにせず行動する。そして絶対にスタンダードを下げない。それが私の役割です。ひとつ難しいのは言葉の問題ですが、コミュニケーション以上に大事にしているのは、グラウンド内外での姿勢や行動で範を示すこと。幸い、ダイナボアーズには土佐(誠)とデーリック(トーマス優デーリックデニイ)という優れたリーダーがいますし、彼らから多くを学べることも楽しみにしています」

ニュージーランド帰国中は妻の実家であるタラナキの広大な農場でトレーニングを続け、8月に国をまたいだ往来が可能になるや、すぐに再来日。宣言通りグラウンドからジム、オフの時間の過ごし方まで規範となる姿を体現し、チームをリードしている。いよいよひと月半後に迫ったトップリーグ2021の開幕に向けては、「全員が同じページを見て自分の役割を果たすことが大事。すべては、1月16日のクボタとの開幕戦につながっている」と意気込みを口にする。

「この3シーズンでダイナボアーズは着実に成熟してきました。スキルも進歩したし、お互いがどんなプレーをするかを理解すること――これはラグビーにおいてとても重要なことですが――その点が大幅に向上している。あとはコーチ陣が考えてくれた戦術、戦術を、選手がしっかりと試合で遂行できるか。それができれば、必ずトップ8に行けると思っています」

決して順風満帆なキャリアを歩んできたわけではなかった。だからこそ、どんな状況でもベストを尽くす姿勢が新たな道を開いてくれることを知っている。『信頼の男』がチームにもたらす価値は、今季ますます貴重になるだろう。

Published: 2020.12.16
(取材・文:直江光信)